歯科医療の特異性(医歯一・二元論)の歴史と現在
「口腔医学」の創設・育成プロジェクトに寄せて
宮城県歯科医師会(宮城・仙台口腔保健センター) 杉本是孝
日本歯科医史学会会誌28巻3号 2010年4月 より転載
著者並びに学会より転載許諾済み
要旨:医歯一・二元論の論争は明治時代以来続いており、現在、文部科学省の助成金を得て推進されている「口腔医学の創設・育成プログラム」に焦点を合わせて問題点を整理した。榊原悠紀田郎は日本歯科医史学会 第138回例会に「医歯一・二元論の軌跡」と題して私的メモを配布した。今回、その内容を確認し、口腔外科関連の事項を追加して年表を再編成した。
要約すると、
- 明治時代以前;日本の歯科医業は、隣国、唐の影響力が強く、耳・目・口・歯の領域を行う口中医のほか、多くの呼び名(職種)があった。また歯科医学の父と言われているビエル・フォシャールは外科医で、歯科学を外科学より独立させ、後世に影響を及ぼした。一方、米国で最初の歯科医学校(ボルチモア)では、保存(充填)学と機械学の2科目のみで、技術(職人)教育であった。
- 明治時代;明治の初め、東校(現;東大医学部)が設立されるが、ドイツ医学が採用された。その頃ベルリン大学には歯科学教室がなかったため、東校にも設立されなかったことが、国家医療(医学)政策から遅れた要因と思われる。
- 医師法・歯科医師法制定(明治39年)以後;1906年医師法制定の頃、従来の歯科営業者を排除するため、鑑札制度を残して、歯科医師法が同時に制定された。その後、歯学(歯科医療)は独自の発展を遂げた反面、医科と歯科との境界領域における論争・紛争が見られた。一方、近年は時代背景から、医歯連携が行われ、医・歯一元論が必然的に論議されるようになったが、まずは歯科界の意思統一が前提の課題であると思われる。
キーワード:医・歯一元論、歯科医療の特異性.口腔医学
Abstract : The monism or dualism for medical and dental science has been debated since the Meiji era. We sorted out problems by focusing on “the establishment and cultivation project of oral medicine” that is currently being promoted with a grant from the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology. Yukitaro Sakakibara distributed his private notes titled “The history of the monism or dualism for medical and dental science” at the 138 th Annual Meeting of the Japan Society of Dental History. We confirmed the contents of the notes and reorganized the chronological table by adding oral surgery-related items. The contents are summarized as follows :
- Before the Meiji era : Dental practice in Japan was strongly influenced by our neighboring country, Tang, and there were many types of medical occupations(titles)as well as Chinese oral medicine for ears, eyes, mouth, and teeth. In addition, Pierre Fauchard known as the father of dental medicine was a surgeon, and he separated dentistry from surgery, which influenced succeeding generations. 0n the other hand, the first dental school in the united States (Baltimore)provided technical (craftsman) education with conservative dentistry (filling) and mechanics.
- Meiji era : At the beginning of the Meiji era, Toko (the Department of Medicine, University of Tokyo) was
established. German medicine was adopted there, and because the university of Berlin did not have a dental department at that time, the one was not established in Toko, which is considered to be a factor for delayed national medical care (medicine) and medical policies. - After establishment of the Medical Practitioners Law and the Dental Practitioners Law:When the Medical Practitioners Law was established in 1906, the licensing system was maintained to exclude existing dental
practitioners, and the Dental Practitioners Law was simultaneously established. After that, while dentistry (dental medicine) developed independently, there were controversies and conflicts over the boundary between medicine and dentistry. On the other hand, collaboration between medicine and dentistry has recently been performed because of the historical background, and the monism for medical and dental science has inevitably come to be discussed. However, first of all, unification
of will in the dental world will be a premise subject.
Key words : unification of medicine and dentistry, specificity of dental medicine, oral medicine
I. はじめに
医歯一・二元論は「歯科医療が医療であるかどうか」という論争であって、近年、榊原1)は「歯科医療の特異性」の考えについて論じ、瀬戸2,3)は「医歯二元論から「知の統合」を目指す」、「医歯二元論はどこへ往く」等と題して近未来を深く憂慮している。いずれにせよ、日本では歯科医療行為と医療行為の論争・紛争・裁判等は明治時代の中頃から続いており、とくに1906(明治39)年の医師法・歯科医師法制定の時期1943(昭和18)年の国民医療法4) の公布の時に活発であった。
ところが、最近の歯科界の現状から、必然的に歯学より口腔医学へ(医学との一元化)の潮流が唱えられるようになった。そのため、平成20年度に文部科学省の助成を得て、戦略的大学連携支援事業が展開され(代表校:福岡歯科大学、連携校;公・私立大学計8校)で、「口腔医学の学問体系の確立と医学・歯学教育の再考」が研究されるようになった5)。
従来より歯科治療には特異性があると言われているが、その歴史の軌跡をたどり、「医歯一・二元論」関係略年表を作成したので、医歯二元論の根底にある歴史的史料について、問題提起の資料を提供する。
Ⅱ. 歯科医療の特異性(医歯一・二元論)関係略年表
冒頭のごとく、日本歯科医史学会 第138回例会(2003年1月17日)に於いて、榊原由紀田郎はメモ(注:私的メモ)を配布された1)。メモは極めて詳細で示唆に富む史料であるが、今回は現在、文部科学省の助成金で推進されている副題について、焦点を合わせて整理した。年表の作成には、年月日、事項に留意して確認し、口腔外科関係等の重要事項は追加した。その際、
- 西歴前(BC)の事項は確認不可能なので除外した。
- 明治時代以前の外国の事項は、日本における影響力の重要性から並列した(表1)。明治以後は各国の教育制度の実態は正確に把握できないので、年表では割愛した(表2)。
- 明治から大正・昭和時代の潮流は一括した(表2)。
- 第二次世界大戦後(敗戦後)は変革が著しい為、関連ある法令、省令、公的見解等を追加記載した(表3)。
Ⅲ. 総括ならびに考察
上述の年表について、医歯一・二元論すなわち医業・歯科医業に関わる事項について、見解を加えて要点を記載する。
1.「明治」時代以前
- 701年の大宝律令(典薬寮)には耳・目・口・歯科の専門科名の記載があるが、これは624年の唐の太医署の医学教育に準じており6,7)、隣国「唐」の影響力が強かったのであろう。
- 欧米では最初の医師教育機関は、ドイツではなく872年にイタリア、1025年にフランスで医学校が設立されていた1)。
- 日本では表1に示すように16〜17世紀頃、口中医などいろいろな呼称があった。
- 1713年には、近代歯科医学の父と言われるフランス人ピエル・フォシャールは外科医で、歯科学を外科学より独立(3版まで発刊)させ、後世に影響力を与えた。
- 1733〜1755年の米国独立前の歯科医の呼称は Tooth Drawer、〜 of Teeth、Dentist(~tistは技術者をさす)等であり、英国の影響を強く受けていることがわかる8,9)。それが第二次世界大戦後(敗戦)の日本にも浸透し、戦後の留学先の大多数が米国であったことも影響していると思われる。
米国では、ハーバード大学が国家独立前の1636年に創立10)されたが歯科学の課程はなかった。1840年、ボルチモアに初めて米国の歯科医学校が創立され、その教育は技術教育の2教科のみであったが、ハーバード大学より 204年も設立が遅い。ハーバード大学歯科医学部(Harvard School of Dental Medicine)は1867年に設立された。
2.「明治」時代
- 1871(明治4)年になると、東校(現、東京大学医学部)はドイツ医学教育をとりいられた。西巻1)は「ドイツ医学の採用が歯科医学にとって悲劇的だったのは、ドイツ医学の中心であったベルリン大学に歯科がなかったことである(歯科が出来たのは1884年)。また、当時の日本では、従来の漢方医学には口科(口中科)が存在していたが、今日と異なる点は、口腔と咽頭を守備範囲にしていたことである。日本の国家医学の中で口腔医学は消え去ることになった。」と記している。結局歯科は取り残され医育機関として水準が低いまま12)、その遅れが国家医学(国立大学歯学部)に乗らなかったのではないかと思われる。
- その後1890(明治23)年、歯科医術開業試験のため、私立の高山歯科医学院(現、東京歯科大学)が設立された。その後、相次いで設立された各学校の卒業生が増加するにつれ、年表のように医師との医療上の紛争や摩擦が見られるようになった。
3.「大正」から「昭和」前期まで
- 1916(大正5)年、歯科医師法改正で、医師は歯科独特(特異性)の充填、補綴、歯科矯正は不可能になり、歯科医業が法的に独立した。
- 1942(昭和17)年の国民医療法交付13)の頃から、医歯一・二元論が活発となり、誌上を賑わしたが、いずれも歯科側の論議で医科(医師会)側から一切話題になっていない(現在でも同じことが言える)。
4.「昭和」中期・終戦後から現在
- 敗戦後は、いわゆる教育制度の大改革が行われ、GHQにより1948(昭和23)年、歯科医師の「死亡診断書」が、米国同様に発行不可能になった。
- 林 了参院議員の努力により、4年後の1952(昭和27)年に歯科医師の「死亡診断書」が復活した。
- その後、医療行為、特に顎・顔面・口腔外科領域と競合する耳鼻咽喉科及び形成外科からの圧力は激しいものであった。例えば、1982(昭和57)年、日本耳鼻咽喉科学会と日本形成外科学会の評議委員会に「医師免許を持たない歯科医師が歯牙および支持組織に限定することなく、全身に影響を及ぶ医療行為を行っている。この際、歯科医師の行える手術、診療の範囲を明確に規定する必要がある」とし、厚生省に質問票を提出した記録が同学会誌に掲載されている(日本形成外科学会誌、2巻、777〜789頁、1982)。 1986(昭和61)年の害56回日本耳鼻咽喉科学会のパネル・ディスカッションには、「口腔疾患は耳鼻咽喉科がみるべき疾患であることを強調し、最近の口腔外科のこの無謀な進出に対して・・・」の記載が日本医事新報(3253号)に見られる。
- そのほか、1984(昭和59)年「唇顎口蓋裂後遺症に関する咀嚼障害」の医師による診断16)や、1987(昭和62)年のスピーチセラピスト( ST)の指導が医師のみの法律等々、後日、局長通達で一部修正されたにしても、いまだに根本的な法律改正には至っていない。
- そのような外部環境のなかで、「歯科口腔外科」の標榜科名、「口腔外科」の専門医認可など当時の学会会長、役員の御努力は特記すべきであった17,18)(詳細は引用資料を参照されたい)。
- 1998(平成10)年、全身麻酔研修中の歯科医に専門外の医療行為をさせたとして指導医は医師法違反に問われたが、2004(平成16)年の2審では2003年に厚生労働省が定めた現指針では適法との認識を示した。
- 2006(平成18)年4月の社会保険診療報酬改定では心身医学療法について、歯科医師の診療権、裁量権が消失した19,20)。
- 2008(平成20)年、日本がん治療認定医に口腔外科臨床の実績と口腔外科学会の努力により、歯科医師が加わり修正された。
- 2008(平成20)年、歯科衛生士の採血について、すでに1948(昭和23年7月30日、法204)、および改正(平成18年、法50)においても、第2条2に、「歯科衛生士は保健師助産婦看護師法の規定にかかわらず、歯科診療の補助をなすことを業とすることができる」と明記され21)、現在の教育課程(内容)からも妥当の見解と思われる。
- 2009年1月には、文部科学省の戦略的大学連携支援事業「口腔医学の学問体系と医学・歯学教育体制の再考」ー口腔医学シンポジウムーが開催され、内容豊富な中間的報告書が示された5)。
歯科医療の特異性(医歯一・二元論)関係略年表
榊原由紀田郎 2003. 杉本是孝 2009. 改訂
表1 明治維新前後まで
表2 明治中期・対象・昭和前期
表3 第二次世界大戦終戦(敗戦 1945年8月) 〜 現在
上述の医療における口腔科の位置づけを医歯一・二元化別に分かりやすく図示すると図1のように要約されよう。
医歯一・二元論の論争は、日本では明治の中頃からあり、100年を超す長い歴史がある。その底辺にあるものは、主として口腔外科領域に関わる医療行為が歯科医療行為なのか医療行為の一部なのかを焦点に論議されている。1906(明治39)年、医師法、歯科医師法制定後、二元制のもとで歯科医学は独自の教育過程を歩み、歯科医療は独自に発展を遂げた現実がある。
ところが時代の流れとともに。歯科医療を取り巻く種々な外部要因・内部要因により、最近の歯科界はマイナス・サイクルすなわち「負の連鎖」の連続で、「歯科医療なくして歯科医業あるのみ」の実態であり、将来に向けて方向性を模索している現状と思われる。
いみじくも1992年WHOの口腔保健部長バームス博士は2025年の予測として22,23)、表4のように述べている。すでに2025年まで残された年数は15年である。また現在、文部科学省の助成金で検討されている口腔医学の研究課題も最終的には医師・歯科医師の一元化の構想も、医師会側はもちろん、医学部と歯学部、医師と歯科医師、大学人と病院勤務医さらに開業医等々立場により意見が分かれ、しかも歯科医師会側でも口腔外科側と、矯正・保存科側との合意は過去も現在も容易ではない。近年、日本でもいわゆる「ダブル・ライセンス特区」をめざした教育改革も文部科学省は取り上げず24)、ましてハーバード大学のように口腔外科研修過程修了歯科医師は、MDの学位(免許ではない)を得て、顎・顔面・口腔領域の外科を実施している10)。このような制度は日本では不可能であろうか。
今日の閉塞感のある歯科界の現状では、教育改革すなわち口腔医学の教育体系を樹立し25~27)(図1)、口腔医療の実践あるのみと考える。今後の歯科医療の生き残りのためには、歯科学(Dentistry)から口腔科学(Stomatology)あるいは口腔医学への転換が必要ではないだろうか。そのためには、医・歯一元論を視野に「茨の道」を選択せざるを得ないと思われる。
Ⅳ.むすび
「歯科医療の特異性(医歯一・二元論)」の歴史と現在」について、関連ある事項の年表(2003年 榊原)を追加改訂した。年表はドキュメントそして通覧には便利であるが、生きた生々しい中身を伝えるため、見解を加えて解説した。歯科界の現状を考えると、未来に向けて、現在継続中である文部科学省の助成金による「口腔医学の学問体系の確立と医学・歯学教育体系の再考」の研究成果に強く期待したい。
稿を終えるにあたり、有益な御助言を戴きました日本歯科医史学会理事 工藤逸郎(口腔外科)・同理事 西巻明彦(医学史・歯科医史)両博士に深く感謝いたします。
図1 医療における医歯二元化と一元化(案)
田中健蔵, 2009. 杉本是孝. 2010, 改訂
表4 Outlook for total health and oral health
バームス先生の「2025年における予測」
引用文献
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- 瀬戸晥一:医歯二元論から「知の統合」を目指す,学術の動向,日本学術会議事務局, 東京.2007年4月, 64〜67
- 瀬戸晥一;医歯二元論はどこへ往く, 歯医史, 27.1〜194, 2008
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- 田中健蔵;口腔医学の学問体系の確立と医学・歯学教育地形の再考, 学士会会報, No.875, 62〜67, 2009
- 杉本是明;”Oral Medicine”の現状に学ぶ, わが国の“口腔医学”の方向性, 歯界展望, 14(2); 406〜407, 2009
- 杉本是明;歯科医学教育に必要な心身医学と口腔医学の概念と基本, 日歯心身, Vol.24, No.1, 2009
著者への連絡先:
杉本是孝(すぎもと これたか)
〒981-8006 仙台市泉区黒松1-21-9 Tel: 022-271-6202 (FAX兼用)
付録 次世代の口腔医学と口腔内科学の課題
宮城県歯科医師会会報 No.404 4・5月合併号(2011, 5, 1)から一部抜粋
歯科医療の特異性とは?
歯科医学は医学の一分野と主張する者と歯科医学(歯学)には特殊性、特異性があると強調する者がいるが、それぞれの立場により、都合の良いように使い分けているきらいがあり、一貫性がない。
当然ながら、関連医学と隣接医学では意味が異なる(Fig.1下図)
欧米の歯科教育の実情と将来像
口腔医学国際シンポジウム in 福岡 2010. 12, 4 で、注目した講演は以下のとおり。
1. 米 国
1) M.マイケルコーヘン教授 ダルハウジー大学(カナダ)
“The integration of medicine and dentistry with special reference to the United States"(特に米国に関する医科と歯科の統合)
2) デイビット・ナッシュ教授 ケンタッキ一大学(アメリカ)
"Integrating the education of dentists with physicians, the challenge and imperative"
(歯科医と内科医の教育の統合:試練であり同時に絶対に必要である)
- 米国では歯学部・歯科界は、医療とは全く関係なく、別枠で孤立している。これは結果的に歯科の重要性が弱くなり、政府からの援助が減少し、経営困難となって、1996年までに私大歯学部は6校閉鎖された。
- 一方で歯科医師は収入面で現状に満足し将来に不安を感じていない。例えば、小児科医の年収の平均は17万ドルで、小児歯科医は35万ドル。
- 米国には国家の健康保険制度はなく、歯科医師は支払能力可能者を対象としている。
- しかし歯科領域は科学的研究が少ない(杉本;NIHでは10数年以上前から「う蝕」の研究予算はゼロ査定。 2010年、CDC(疾病コントロールセンター) から「う蝕」の名が消えた;日歯医会誌, 62 : (12)130、2010.
- 歯科医師はDentistとなった。(注;istは技術者)で、Doctor(医師)と異なり、Practioner(営業者、施術者)。
- DentistはOral Medicineに関心はなく、必要性をとなえても同調者はほとんどいない。
- なお、(1)マイケルコーヘン教授の論文(当日の冊子)の13頁には、次のように記してある。
「医学教育、その他医療専門家からの孤立;医療教育機関の経費、能率、経営者の説明責任に関する最近の社会的要求や期待は、大学や歯学部教育に影響を与えていて、特に歯学部教育は攻撃されやすい。歯学教育の財源は州政府や連邦政府の準備金による援助と共に、減少しつつある。歯学教育課程に対する公共部門または大学からの援助の際立った増大はあまり期待できない。歯学部の指導者は職員にかかる経費を抑制し、学生の授業料を上げ、患者の負担を増やし、個人からの負担を獲得し、教員の負担拡大をしている。しかしそんな努力もいわば一時しのぎに過ぎない。」
2. E U
イイズカタテユキ教授 ペルン大学(スイス)
“Dental Education and the Ora1 Care System in Europe : What Happened in 10 years of the Bologna Process¨
(ヨーロッパにおける歯学教育と口腔ヘルスケア:Bologna 宣言後10年で何か起きたか)
- EU統合のときに有名な Bolognar ポロニア(ポローニ)宣言が1999年にだされ、27カ国で200校の大学歯学部が141校に減少。
- 歯科医師の教育レベルを1番下のレベルに統一し、5年学部課程とした(医学部は6年)。
- 換言すれば Stomatology から Odontology にした。即ち Stomatology の分野は医師が担い Odontology は歯科医師となり、歯科医は Dental practitioner とも呼ばれている。
- EU各国で改革の速度が異なる、英国がもっとも進んでいる。1970年から Stomatology であったスペインが1番遅れている。しかし英国では口腔病学として医と統合が必須との声がある。
- Stomatologist の国、イタリーは2002年から Stomatologist はいないが、医学部とは完全に分離していない。
- Stomatologist も存在したフランスは単科歯科大学がなく、ノルウエーやトルコは、日本と同じ医歯二元制である。
- 10年を経て定着した Odontlogist は入院患者を直接扱えず、入院患者は病院医師の管理下にある。また Odontologist の麻酔は局所麻酔だけ。
- EUでは、顎顔面外科はMDが多いが、各国により異なる。また医か歯のどちらかの免許をもち、3年間の研修を受けている。
- 各国で社会的、臨床的に Innovation(改革)が行われている。
3. 日 本
1)タナカ ケンゾウ教授 福岡歯科大学理事長
“Establishment of an Educational System of Oral Medicine and Integration of Medicine and Dentistry"
(基調講演;口腔医学の教育システムの確立と医科・歯科の統合)
- 田中健藏教授は基調講演として、2010年度文部科学省戦略的大学連携支援事業「口腔医学の学問体系の確立と医学・歯学教育体制の再考」をふまえて、これまでの歯学教育から全身疾患・全身の健康学との関連を重視し、広く口腔医学の領域の疾患を対象とする「口腔医学」の学問体系の確立をめざした基調講演をした。
2)タカト ツヨシ教授 東京大学
“Dental Innovation and the future of Oral Science” (歯科の革新と口腔科学の将来)
- 高戸毅教授は歯科の革新と口腔科学の将来について臨床研究面から症例を提示した。
3)トツカ ヤスノリ教授 北海道大学
“How to Innovation the Future of Oral Science” (歯科から口腔医学への抜本的改革)
- 戸塚靖則教授は様々な視野の実態から(1)現在の歯学部は1/3〜1/4が技術教育。新しい歯科医師を養成し、全身評価が可能な歯科医師の養成が必要(2)歯学部は基礎も臨床からも孤立により、無知が起き、国民から支持されない(3)歯学教育を革新することで医学教育に統合されることであろう。
考察より
筆者が1979年、日本歯科医師会編纂の書籍の書評に記した文、「・・・歯科開業医としては、歯科関連のどのような疾患にも積極的に取り組む姿勢が欲しい。Einkommen する特定の患者に特定の修復物を装着することのみに関心を寄せず、これからの臨床歯科医は、口腔内科医、口腔外科医、すなわち Stomatologist として、患者を診察する心構えこそ”今後の進むべき歯科医療のあり方”と信じる。」を記している。
また、著者が師と仰ぎ尊敬する正木正先生の言葉も載せている。
「歯科教育機関と個人歯科医師の集まりである歯科医師会は、絶えず動き、移りゆく社会の変化に対応できてないように思う。それは半世紀前のわたしが学生であった頃に感じた歯科社会幼稚な物の考え方と程度の違いがあるが、それが今も残っている。世の中で無知ほど恐ろしいものはない。いつになったら社会常識との差が縮められるのか考えさせられるものがある。この苦言は、今のあるいは、これからの若い人たちの努力によって打開されるのを期待している。」
まとめ
歯学と次世代に向けての口腔医学および口腔内科学の課題を医歯一・二元論の歴史と国際的比較から慨説した。 日本の歯科界の現状および欧米の現状から、本邦の歯科医師のあり方の選択肢は次のように要約されよう。
- EUの Odontologist および米国の Dentist、すなわち歯と歯周組織のみを対象とした歯学教育を目指すのか,そして米国のように自由診療の方向へ目指すのか。
- 現在の歯学教育を改革して口腔医学(口腔科学)を樹立し、一元化の下 Stomatologist「口腔科医」を育成するのか(例えば、現在の歯科医師を一代限りとし、50年程度の猶予期間を設ける。また、10年位を歯学部教育の移行期間とし、医学教育を大幅に導入する。その後、歯学部は廃止し、医学部教育の中で希望者に、卒前教育で口腔科学を、卒後教育で研修を選択する等々)。
- 近未来の歯学の存続を考慮し、かつ歯科医師制度を活かして4年制大学とし、歯の疾患のみに限定した口腔科医を補助する新しい国家資格にするか。
- 現状のまま、国立大学歯学部の縮小と私立大学歯学部の自然淘汰を待ち、歯科医師数の減少を待つか。
の4案に大別されよう。
ただし、4.の場合、現在オーラル・メデスンあるいは口腔内科などの名称で3〜4の大学に存在するが、今後の危惧として、口腔医学の学問的大系が樹立・教育され、臨床の場で口腔医療が展開されたとしても、必ず医師法・歯科医師法の法的問題が提起されることは必然である。 これは上述した過去の「口腔外科関係」の諸問題を歴史が幾度も証明している。以上の経緯を踏まえたで上で、諸賢のご高見を得たい。(著者並びに宮城県歯科医師会の転載許諾済み)
Fig.1
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